明治26年(1893)5月28日京都府に生まれる。大正4年、関西大学専門部法律学科を卒業。
在学中に大阪電気軌道(現近畿日本鉄道)に入社。
会計課長から総務部長を経て、昭和9年には常務取締役、3年後専務取締役に就任。
昭和19年、常務監査役となる。昭和22年公職追放例に同社を退職。
母校関西大学の経営に参加したのは、終戦直後の頃から昭和21年に理事に就任。
敗戦直後の荒廃した大学の再建に尽力。
昭和26年、公職追放解除となり、再び近畿日本鉄道取締役に就任。昭和29年には同社取締役会長に選ばれた。
昭和31年、これまでの豊富な識見をかわれて、再び本学監事に推され、昭和35年に本学理事長に就任した。
約2年半の在任中、母校発展のために大いに活躍した。のち昭和42年顧問に推された。
晩年は八尾市教育委員として地元の教育事業に尽くす。
昭和42年(1967年)7月30日没した。74歳。
明治31年(1898)10月8日山口市に生まれる。
大正8年広島修道中学校を卒業。
同年9月関西大学専門部法律学校に入学。翌年3月大阪株式取引所に入所。昼間は仕事に夜は勉学を続け、大正11年同校を卒業。
昭和18年、全国の取引所が統合され、日本証券取引所が開設され理事に就任。
戦後昭和22年、再開に備えて設立準備委員会が発足し、委員に就任。
昭和24年、大阪証券取引所設立、理事に選任された。昭和25年、視察団員として渡米。
昭和30年大阪証券取引所理事長に就任。
その間、昭和27年に大証にコンピューターを導入するなど戦後の大証復興に尽力した。
昭和31年大証理事長退任とともに大阪証券会社を設立。初代社長に就任。母校との関係は昭和31年、法人評議員に選ばれたときに始まる。
昭和35年に監事となり、さらに昭和37年には理事に就任、昭和43年まで大学経営の一翼を担った。
また昭和37年校友会長に選ばれ昭和41年まで2期5年間勤めた。
昭和51年(1976)8月25日没した。77歳。
大正14年専門部商学科卒業。
昭和31年一軒家からスタートした、カネキ商店を引き継ぎ神戸トヨペット株式会社へ社名変更、
代表取締役に就任。
昭和45年藍綬褒章受章。
昭和51年勲五等双光旭日章受章。
当クラブ第三代会長に就任。
昭和58年神戸トヨペット株式会社 代表取締役会長に就任。
平成9年当クラブ会長退任。
平成14年急性心不全のため死去。98歳。
昭和25年 経済学部卒業。
昭和27年に京都新聞に入社し、社会部記者として活躍。
人事部長、総務局長、専務などを経て昭和58年代表取締役社長に就任。
平成7年から会長を兼務し、平成11年代表取締役会長専任となった。平成15年に相談役。
平成11年から4年間、日本新聞協会副会長を務め、新聞再販制度の維持、メデイア規制問題などに取り込むなど新聞界の発展に貢献した。
平成9年当クラブ第四代会長に就任。平成16年肺炎で死去。78歳。
昭和25年 法学部卒業。
株式会社新通 取締役会長。
平成3年当クラブ幹事に就任。平成9年当クラブ副会長に就任。
平成16年当クラブ第五代会長に就任。平成20年当クラブ会長退任。
平成27年11月21日死去。
昭和31年 法学部卒業。
昭和58年 神戸トヨペット株式会社 代表取締役社長に就任。
平成9年当クラブ幹事に就任。
平成15年神戸トヨペット代表取締役会長に就任。
平成18年旭日双光章受章。
平成20年当クラブ第六代会長に就任。平成25年当クラブ会長退任。当クラブ相談役。
昭和35年 商学部卒業。
株式会社栗原製作所 代表取締役。
昭和38年に日本で初めてプラスチック素材の鶏卵パックの製造を開始。
平成17年新本社社屋・工場完成。
平成20年当クラブ幹事に就任。平成23年当クラブ副会長に就任。
平成25年当クラブ第七代会長に就任。
1968年 経済学部経済学科卒業。
株式会社大松 取締役会長。
1977年に大阪府池田市にて株式会社大松として創業。
2011年当クラブ副代表幹事に就任。
2013年当クラブ副会長に就任。2017年当クラブ第八代会長に就任。
2021年当クラブ会長退任。当クラブ相談役。
初代 : 刀根 泰雄(昭和7年大経卒業) | 元 森下仁丹株式会社取締役 |
2代 : 吉田 三七雄(昭和10年大法卒業) | 元 朝日放送専務取締役、エービーシートラベル代表取締役社長 |
3代 : 天野 正(昭和17年商学部卒業) | 元 毎日放送専務取締役、現顧問、当クラブ相談役 |
4代 : 田合 邦臣(昭和37年商学部卒業) | 現 有限会社ティ・エイ・ジ・オー総合事務所 所長 |
5代 : 本間 敏司(昭和61工学部卒業) | 現 株式会社技建設計 代表取締役 |